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幸せな奥さん 1.

1.

「宜しかったら、あちらのお席にお移りになられませんか?」
差し出された案内係の示す先には、中庭がガラス越しによく見える
窓際の丸いテーブルがあった。
さっき迄先客が陣取っていた窓辺の明るい席は今は奇麗に片付けられていた。
少し低い、そのテーブルに肘をつくと、少し手前に傾いている。
どうも、丸テーブルというものは真ん中の一本の脚で支えている物だから、
そのうちにいつかこんな風に広げた天板の淵が下がって来るらしい。
窓のすぐ向こうには、トレリスがあって、花嫁と花婿がつい先ほど迄
その下をくぐっていた場所だ。
このホテルでは、先ほどこの二人の結婚式が終わったらしく、
私がホテルの玄関から中へ入って来た時には、
チャペルから続くスロープを下った先の噴水近くに二人は降りて来ていて、
花嫁はピンクのウェディングドレス衣装のままで座って撮影が行われていた。
中庭側の喫茶店に入って遅い昼食をとる事にした私は
ブーケを手に、今度は外の中庭で仲間の祝福を受けていたさっきの二人を
座った席から何気なく見ていた。

結婚って、やっぱり、喜ばしく華やかで、幸せなムードを
その場に残す物だなと、その時感じた。
二人がそこに居るだけで
まるで、花びらを撒くようにその場がぱっと、明るく華やぐ。
二人が去った後の中庭は、もはや静かないつもの落ち着いた中庭の風景に戻っている。
私は座り直した窓辺の席から、さっき迄その二人が居た植物が巻き付いたトレリスを眺め、
ふと自分の肘を置いたテーブルに目を落とした。
自分のかけた重みで少し手前に傾いた天板には、15ミリ程の大きな丸い傷が有る。
この傷には見覚えが有った。
毎日自分が座っている我家のテーブルにも同じような傷が有るのだ。
それは、初め付いてしまった小さな傷の周りを、私が無意識のうちに自分の爪でニスを剥がすように広げていってしまったもので、今ではとても大きな物になっている。
日頃の手悪さによって悪化した大きな目立つ傷。
今自分が座ったこのテーブルの肘をついた所にも、
全く同じようにして作られたに違いない大きなニスの剥げた丸い傷が有るのだ。
思わず、苦笑した。
明らかに私が広げた家のテーブルの傷は、毎日その場所に座る度
私の心を情けなく、気分を下げてしまう傷だ。
それも、自分はそうなる事が分っていて、傷の周りを
その席に座る度に触り、剥げかけた傷の周りの表面のニスを、
爪で更に剥がし、その傷を徐々に大きく広げてしまうのだ。
もう、直らない。
日増しに目立って、もはや、消す事のできない事実としてそこに有るかのように、
意地悪く私がそこに座る度、いつもその惨めなハゲチョロの不格好さを見せつけてくれる。

そんな似たようなニスの剥げたおおきな丸い傷が、
今、自分の通された席のテーブルにもついていて、
せせら笑っているかのように、私を見つめている。
傷が私を見つめる訳は無く、私がその傷をそんな風に憎らしく見つめているのだし、
そこから目を離し、再び窓の外のトレリスを眺めている事にした。

花嫁と花婿の仲睦まじくその下をかがみながら身を寄せ合うようにして
くぐって通る姿が、残像となって静かな瀬戸内の島々と重なる。
その中庭には小さなホテル専用の桟橋が有って、
宮島を廻って戻って来たクルージングツアーのクルーザーが今帰って来た所だ。
桟橋にその船は横腹を静かに着けようとしていた。
ここから、船が出て、二人はそのままクルージングバッフェ兼披露宴に
祝ってくれる仲間と共に乗り込んで行ったのだ。
なんと、幸せな船出だろう。
そして、又ここに帰って来て、二人はスウィートルームで眠るのだろうか。
どうも、愛し合う二人が船をこぎ出すシーンに私は弱い。
『マンマミーア』のギリシャの青い海で、静かな月明かりの下を
二人がゆっくりとオールを漕いでゆく姿や、
夏に観た、『食べて、祈って恋をして』のラストシーンも泣けて泣けて仕方なかった。

でも、そんな事を思いながらふと自分にも、
忘れていたけどここからのクルージングに参加した事があるのを思い出した。
主人と付き合い始めて初めての誕生日に、主人が予約をして、
私をクルージングランチに連れ出してくれたのだ。
船上の食卓の上で、ワインを乾杯した後、
主人が差し出した細長い箱の中には、18金のネックレスが入っていた。
石の付いていないシンプルな鎖は、その場で私の胸に着けられた。
その日は、二人このホテルには入らず、中庭を散歩だけして帰った。
忘れる物なんだな、人は。いや、私が特に忘れっぽいのだろう。
今迄ホントにそんな日の有った事を忘れていたのだ。

今日は、喧嘩し、家を飛び出して、
一人このホテルに来てしまったのだし、
今そんな事を思い出しても、困るのだ。
ふと再び目を落としたテーブルに、先ほどの傷が又目に映った。
おぉ、嫌だ。嫌な傷だ。
なんだって、今日、こんな所にこの傷が私の目の前に現れるのだろう。
又自分が無意識のうちに触ってしまわない内に、その場を離れる事にした。

                       続く
# by robinnest | 2011-02-01 19:57