人気ブログランキング | 話題のタグを見る

幼友達 第2章

2.
彩子の家は、山の中の田舎集落に有る。
バスだって、一日に何本かしか通っていない。
市街地から七曲がりと言われる程のうねうね曲がりくねった山道を
ひたすら上り続け、昔、峠の茶屋が有ったような場所を通り越し、
初めて辿り着く田舎集落。
そこは団地なんかではないし、まして、商店街やスーパーなんて物も無い。
有るのは、農協、酒屋、マーケット、学校、公民館、
そして、彩子ママが経営する幼稚園、保育所、それに老人ホームきりだ。
後は、畑、山、民家、それにバス道。
同じ名字の家が何件も有ったりする。

そもそもあんな所に、40数年前、保育園が出来た当時は、
兎に角目立っていたろう。
看板も、遊具も、建物も、あれよあれよと数年のうち、
園児の数が増えると共にやり替えられ、
園バスは、日に何度も遠くの団地や隣の集落から園児を運ぶのに忙しかった。
バスを運転していたのは、彩子のパパ。
主事先生とみんな呼んでいた。
私が幼稚園の頃、私のうちも、丁度峠の茶屋から少し里に向かって下りた所の
彩子の家の集落と負けず劣らじ、小さな田舎集落にあった。
そこまでの道のりは長く、
保育園からだと多くの団地からやって来る園児の家とは方角も異なり、
園バスのコースは田舎回りと呼ばれていた。
彩子パパはいつも、最後に降ろす私ともう一人の男の子だけになったら
決まって歌い出す。
「田舎のバスはオンボロバスよ。でこぼこ道をガタガタ走る♪
それでもわたしのせいじゃな〜い♪ってねぇ〜」と。
愉快そうにハンドルをつかみ、時々私達の居る後部座席を振り返りながら。
彩子パパは喋り方にちょっと福岡弁の訛りがある。
それが余計に人柄よく、暖かみのある感じに聞こえる。
髪は天然パーマで、顔は
「アーア〜アいやんなっちゃった、あ〜あーあ驚いた」の
牧真二さんのような感じ。幼心にあのテレビでウクレレ持って出て来るおじさんに
何となく似ている主事先生を、面白いなぁと思っていた。
他の子ども達も同じで、主事先生には、よくふざけた調子で話しかけていた。
「主事先生」と云えなくて、「シューズ先生」で通っていた。
少ししっかりしたませた子がいて、「シュージ先生だよ」
としきりに他の子の言い方を直していた。だから、私は素直に、
「修二」という名前なのだと思っていた。
だけど、本当の名前は彼が胃がんでこの世を去ったあとも、知ることはなかった。
休みの日には、バタバタとエンジンのうるさい青いホルクスワーゲンに
家族を乗せて、出かけるのが好きなパパだと聞いていた。
園児達は、いつも園バスの前に停まっているこの青い丸いカブトムシフォルムの車を、
「ボロクソワーゲン」と呼んでいた。
その方が呼びやすかったというだけの理由で。
彩子パパは運転がとびきり上手くって、車好きな人だった。
彩子が車の免許を取ってからも、
パパの車を我が物顔で乗り回していた彩子だが、
彩子はいつかこんな事を教えてくれた。
「パパはね、いつも車を運転しながら、今こんな事故が目の前で起きたら、
自分はどうするかって考えながら運転しなさいと言うのよ。
例えばね、今トンネルの中を走ってるとする。前方で火の手が上がり、火災が発生したとする。
そうしたら、彩子、どうする?って聞く訳。」
私も、親子がパパに問いかけられたのと同じように、彩子に問いかけられた。
私は「さぁ、どうするかなぁ。車を降りて反対今着た道を一目散に引き返すかなぁ。」
「パパの考えはね、すぐさま反対車線に出て、ずっとバックでトンネルの入り口迄戻るって事よ。」
そんな風に、彩子のパパは、我が子が自ら自分の身を守る道を教えて行くような人だった。
by robinnest | 2012-01-17 20:50


<< 幼友達 第2章 第2章 幼友達 1 >>